とある科学の超電磁砲 幻想御手篇の考察と予想

10話『サイレント・マジョリティ』までを視聴しています。
 
昨日から『サイレント・マジョリティ』というサブタイトルについて考えていました。
 
サイレント・マジョリティはなにを意味しているのか?
①ネットワークに組み込まれる意識が増えれば、それが学園都市の多数派を
 占めることができる目指すべき目的
②木山先生が目指す目的は学園都市の多数を占める無能力者の意思に
 支持されるはずのものであるという提示
 
今回の台詞「最後にはきっとうまくいくさ」と次回のタイトル「木山せんせい」。
視聴者視点からのお行儀の良くない邪推ですが、悪人には見えません。
 
木山先生の目的はなんだろう?
 
③すべての能力者がネットワークに接続すれば、皆が等しく力を使うことができる
 学園都市から能力レベルによる格差を無くすことになる
学園多数を占める無能力者の支持を受けることはできそう。
 
10話で「レベル・アッパーに手を染めた連中の起こした事件」の解決に
黒子が奔走させられる姿があります。
つまり、自制できる範囲を超えた能力を手に入れたら、人は暴走する。
これを明示することで
④能力開発を至上とする学園都市の在り方に異を唱える
 
09話のサブタイトル『マジョリティ・リポート』
マイノリティ・リポート』という映像作品がありまして、
『マジョリティ・リポート』はこれを想起させます。
 
マイノリティ・リポート』は
「支持する者が少ない意見は無きものとされるが、時にはその中に真実がある」
→「多数が支持する意見が正しくないことがある」
ということから始まる物語です。
『マジョリティ・リポート』は
「力無き佐天が正義を通しても能力によって踏みにじられ」
「佐天を踏みにじった能力も更なる能力にねじ伏せられる」
話でした。
これは学園都市に蔓延する「能力こそがすべて」というマジョリティは
果たして正しいのかということを提示しているのではないかな。
木山先生が打破しようとしているものはこれじゃないかなぁと考えます。